僕らの食事計画




祖母は昔、「きちんと食べることはきちんと生きることなのよ」と言った。

宵風が空腹ではないか気になって「お昼食べたい?」と尋ねたら、率直に「うん」と返って来たものだから、彼をすぐ近くのハンバーガー屋に連れて行ったことがある。
以前のことだ。そのとき時刻は確か午後二時を過ぎていて、昼食時を過ぎた店は木の葉が散りきってしまったみたいにすっかりと空いていた。
宵風はついその日のことこちらに来ていて、午前中二人公園で一ヵ月後にあるフロスティの暗殺と護衛にまつわる話をしていたのだった。(暗殺や裏取引の話のあと同じくちびるでハンバーガーのメニューを注文するのは、いたって平和すぎる話だ。平和すぎてふさわしくないような、けれどふさわしくないと言い切るにはあまりにも食は生きることや死ぬことに直結しすぎている。)
「何が食べたい? 宵風」
カウンターの前で振り返って尋ねてみて、そうしたら、「なんでもいい」のだそうだ。宵風はその間メニューを見てみることもせず、考えてみることもしなかった。
壬晴は自分こそ食に無関心だったが、宵風のそれはあまりに生きていると言いがたいじゃあないかと思って、好きにしてほしくていつまでも彼の返答を待つつもりだった。けれど宵風はそこから少し目を伏せてこんな風に口にするのだ。
「いいんだ」
「宵風」
「あまり、選んだりはしないから」
「……」
壬晴はますますどうしたものかと考え、宵風が好きなもののことを考え、そしてひとつも分からなかった。だからいっそメニュー表の上から下までのバーガーを「全部ください」と注文してみた。服も欲しくない、遊びにも行きたくない、無頓着人生のおかげで祖母からもらってきた小遣いはこれまで使う場所があまりなかったのだ。

・・・・・

さて、宵風は死ぬほど食べる。所作こそうつくしいけれど、ばくばくとそれは豪快に量を食べる。彼が食事をするところを今日初めて目の当たりにした壬晴は、無関心を捨てて少しぎょっとした。
何より、彼があまりに淡々と食事をすることにもっと驚いた。作業じみていて表情もどこにもなく、食事というよりはただの摂取に近いような気がしたのだ。そして、きちんと食べることはきちんと生きることよという祖母の声を、壬晴はきちんと憶えていた。
「宵風、足りた?」
そう聞けば宵風は顎を動かしながら黙っているので、壬晴は自分のトレイに乗っていたサラダをあげるよと差し出してみる。
「いらない」
はっきりと口にした彼はそれから後に、ゆっくりとした声でこうやって続けるのだ。
「壬晴からは、これ以上もういらない」
宵風にまだ何もあげていない壬晴は、それを聞いてなんだか無性に悲しくなった。怖いようなさびしいような気持ちになって、よいて、と言った。やわらかくやわらかく名前を呼んでみた。宵風はふっとこちらを見て親指を舐めて、「なに?」返事をする。
「こっちのお好み焼き、広島風って言って他とは違うんだ。もう食べた?」
「……いいや」
「だったら俺が今度焼くよ。宵風のために」
思えば壬晴は、これまでこんな風に誰かと約束をすることなんてまるでなかった。誰かのためにと口にしてみせたこともなかったし、「今度」だなんてこの先もずっと繋がり続けなければならないような言葉を渡してみせることさえなかった。
「食べてくれる?」
「……」
「宵風」
宵風に、生きるための食事をさせてあげたかったのだ。それが、壬晴が灰狼衆に入ることを決める幾日も前のことである。

・・・・・

そして宵風の味覚が死んだ今日、彼は初めて泣いた。
壬晴が焼いたお好み焼きを食べ、雪見の言葉を拾った為に泣いて、それから何を食べても味が分からなかったと言った。
夕暮れも終わり互いにベンチへ腰を下ろしている今、壬晴はその言葉をぐるぐると思い出している。
あの言葉だけで十分だ。十分に、宵風は生きているんじゃないか。そう思ったら胸の内で何かが爆ぜたように熱くなって、壬晴はしばらくの間抱えた膝に顔を埋めて目を閉じた。
しばらくと言ったが、時間にしてみればほんの一秒だったかもしれない。
宵風は壬晴にいくらかなにかしてやろうと思って、なんでもしてやろうと思って、宵風が望むのなら、(だって、背中合わせに座り込んだ宵風がただ呼吸をしているだけで奇跡のようなことだというのなら、彼に何か与えてやりたいと願ったって構わないじゃあないか!)
目がとても痛かった。かつて埋められた宵風の気羅が、今でもこの中で鼓動を刻んでいるような錯覚がする。
壬晴はそれをまるで宵風の心臓が動いているみたいだと思い、そして、自分が宵風に奪われて再び与えられた視力でこの世界を見ていることが痛みと一緒にわかった。