みーんなぜんぶ





名張野診療所を退院した数日後。
報告のため首領の元へ向かい、夕刻に帰宅すると、僕の部屋は様変わりしていた。

「今日から、これらは皆、俄雨の物だ」

部屋の中央に立った雷光さんが、両腕を広げ室内をぐるりと指し示す。
壁は一面、お守りで埋め尽くされ、床もベッドも同じ状態だ。それだけじゃない。よく見ると、カーテンレールの上や、本の隙間、ペン立ての中など、とにかくいたるところに、雷光さんのコレクションが飾られていた。
今朝までは、雷光さんの部屋がこういう状態だったはずなのだけれど。

「どうしたんだい? 早く部屋へお入りよ」
「はい、えっと。はい、只今参ります」

雷光さんのコレクションを間違っても踏みつけないように、細心の注意を払い、つま先歩きで室内に入った。それから、かろうじて人一人分のスペースが空いてる場所まで向かった。ちなみに雷光さんは、僕のベッドの上で、お守りに囲まれながらちょこんと正座をしている。

「私が認識していたよりも、ずいぶんと数が増えていたみたいだ。なにせ移動するのに、半日もかかってしまったからね。でも俄雨が戻ってくる前に、終えられてよかった」

雷光さんはひとくくりにしていた髪をほどき、“仕事を終えたときの顔”で笑った。
その笑顔につられて、ついうっかりしまりのない顔をしてしまったが、すぐさまそんな自分を恥じた。
これではいけない。
雷光さんの極端な行動には、いつも必ず何らかの意味が隠れているのだ。それを察して、少しでも繊細な彼の心をほぐせるようにならなければ。

「雷光さん、どうかなさったんですか。僕で良ければ、手助けをさせてください。僕に出来ることなんて限られていますが、ていうか全くないかもしれませんが、でも雷光さんのためなら、なんだって――」
「自分を卑下するような言い方はおやめったら。心を配りすぎるのもほどほどにおし。万事を重く考える必要などないのだから。それに私の服をみてごらんよ。いたってまともだろう? 何の悩みも抱えていない証拠さ」

雷光さんは肩を竦めながら、カーディガンの裾を摘んでみせた。
たしかに今日のコーディネートは、実にシンプルだ。奇抜なデザインの服を着こなす雷光さんも、もちろん素晴らしいけれど、さっぱりとした服に身を包んでいるとき、雷光さんの持って生まれた美しさは一段と輝く。

「そんなに熱っぽい眼差しで見つめられると、照れてしまうだろう」
「すみません、ごめんなさい! 雷光さんがあまりに素敵で、つい不躾な視線を向けてしまいました。以後気をつけますッ」
「俄雨は、単純なのに何故だか飽きのこないゲームみたいに面白いよね。以前、先輩の家で遊ばせてもらったんだ。たしかポックマンとか言ったかな。あれはよかったなあ」

雷光さんに褒められた。
気恥ずかしいほど膨れ上がった喜びを飲み込むため、咳払いでなんとか自分をなだめてみる。残念ながら、あまり効果はなかった。
それなので今度は、最初に抱いた疑問になんとか意識を戻そうとした。

「このお守りたちは、雷光さんの部屋に収まりきらなくなっちゃったんですか。――僕の部屋でこのままお預かりしてもいいですし、必要でしたらコレクションを収納できるマンションを、明日にでも契約してきますが」

僕の言葉を聞いた雷光さんが、髪を耳にかけ、ゆっくりと二回瞬きをした。
この仕草は、雷光さんが不機嫌になったときの合図だ。
まずい。どうしよう。失言だったらしい。
僕は慌てて自分の口を覆い、首を横に何度も振ったが、雷光さんの眼差しは冷たいまま変わらない。
僕はなんてあんぽんたんなんだ。自分の最低さに、嫌気がさした。
とにかくなんとか、許してもらわなくては。

「お守りブームは、もう去っちゃったんですね?」

壬晴君の特技を思い描きながら、人差し指をたて、はずませた口調で尋ねてみた。
けれど、その古典的な動作がお気に召さなかったのか、ネコ目の僕では愛らしさより憎たらしさの方が優ってしまったのか。
雷光さんの視線は、いよいよ凍りつくほど厳しくなった。

「流行物を疎んじる私の性分を、お前だけは理解してくれていると思っていたのにな」

怒っているというより、その声は哀しげに響いた。
だから僕は先刻とは違う意味で慌てふためき、なんとか誤解を解きたくて声を張り上げた。

「もちろん覚えてますよ!」

生意気な口を聞いている。それにはすぐ気付いたけれど、止まらなかった。
だってどうしても、そんな風に諦められたくないんだ。

「雷光さんに関する情報を、僕が忘れるはずないじゃないですか」

斜めがけしたバッグの紐をきつく握り、唇をかみ締める。
殴られてもいいと思った。
しかしベッドの上の雷光さんは、立ち上がろうとはせず、その代わりわずかに目を細めて、心を読ませない瞳のまま小首を傾げた。

「ねえ俄雨。どうしていつまでも、鞄を下ろさないんだい?」

僕も首を傾げたくなった。
これは何か裏に意味を秘めた問いかけなのだろうか。
再び最悪の地雷を踏みたくはなくて、答えに窮していると、雷光さんは息だけの声で笑った。

「しばらく離れていたせいで、このマンションが自分の家だという感覚をなくしてしまったのかい」
「そんなまさか! 僕はただ雷光さんの物で満たされている自分の部屋に、こそばゆい緊張感を覚えていただけです。――僕の帰る場所はいつでも此処で、雷光さんのもとです。だから……見捨てないでください」

雷光さんは何も言わず、ただ僕に手招きをした。
すぐさま僕はお傍に寄り、お守りを避けてから、ベッドの脇に膝をついた。

「あの深い眠りの中で、私の記憶などかき消してしまえば、幸せだったろうに。私は時折、お前が不憫に思えて仕方ないんだ」
「僕の幸せだって、いつも雷光さんのもとにあるんです」
「馬鹿な子だね、俄雨」

顔を歪めて笑った雷光さんが、そっと腕を伸ばし、僕の頬をむにっと引き伸ばした。
触れられた場所があつい。
そこからぼわっと熱が爆発して、いてもたってもいられない気持ちになる。
僕があまりに激しく目を泳がせたものだから、雷光さんはおなかを抱えて笑い出し、その拍子に彼の耳へとかけられていた髪が、するりと流れ落ちた。

「涙が出るほど笑ったのも、ずいぶん久しぶりだな。――ああ、そうだ。これも俄雨に渡しておかねばならなかったんだ」

乱れた息を整えつつ、俯いた雷光さんが、自分の腰周りにつけているお守りに手を伸ばした。そして何の躊躇いもなく、お守りを外してしまった。

「付け替えるから、俄雨のベルトを貸しておくれ」
「ちょっと待ってください雷光さん! そのお守りは、特に大事になさっていたのに」

僕のベルトにかけられた雷光さんの指に手を被せて、微かな力で拒むと、雷光さんはむうっと頬を膨らませた。

「受け取ってくれないのかい」
「違うんです。だけど、でも……。僕がお守りをもらってしまったら、雷光さんのことは何が守ってくれるんですか」
「俄雨が傍にいてくれるだけで、なんだかもう、私は死ぬ気がしないんだ。それに比べて、お前は危なっかしくてしょうがないだろう?」

何週間も意識不明だった僕に、否定の言葉を紡ぐ権利はさすがにない。
それに僕は性懲りもなく、雷光さんのためなら、いつ死んでもいいと考えているのだ。
雷光さんはそんな僕の想いなどお見通しなようで、咎めるように、諭すように、僕の肩を掴んだ。

「二度と傷を負ってはいけないよ。もう二度と、あんな想いをさせないでおくれ」

僕を覗き込む雷光さんの瞳が、強く伝えてくる。

「今まで私を守っていた力のすべてを、俄雨のものに。そして私の持つ力のすべてで守ろう。命のもとの約束だ」



2008/05/12