ぼくときみは他人同士 俺と宵風はよく、兄弟に間違えられる。 たとえばホカ弁屋の店頭で注文するときなど、かならず「弟さん(お兄さん)の方は何にしますか」と尋ねられるし、宵風と何度か散歩をした公園に、俺一人で向かったときは、顔見知りの老婦人が「今日はお兄さんと一緒じゃないのね」なんて声をかけてきた。 「なかよしに見えるのはいいけど、兄弟はいやだ。雪見さん、何かいい案ない?」 床に胡坐をかいた雪見さんは、取材旅行の荷物をガサゴソとまとめながら、「あぁ?」としゃがれた声を上げ、煩わしげに振り返った。後ろから覗き込んでいる俺と目が合っても、つっけんどんな表情は変わらない。すぐにまた旅行鞄に視線を戻してしまったけれど、数秒の間のあと、しっかり応えてくれるのが雪見さんだ。 「ったくガキってのは、くだらないことだけに悩んでりゃいいんだから、お気楽なもんだねえ。――なんだ、その、あー……手でも繋いどけば? ベタベタしてりゃあ兄弟だと思われないだろ」 「さすが、俺より余分に生きてるだけのことはあるね」 関心しながら頷いていたら、猫へとするかのようにシッシッと追い立てられた。 仕事のせいで気を立てている大人なんて、放っておくにかぎる。 それよりも重要な問題を、こっちは抱えているのだ。 雪見さんの提案を実行するため、宵風をケーキ屋に誘ってみよう。マンションの近くにできた店をテレビで紹介していたとき、めずらしく画面を食い入るように見つめていたから。その店への地図も、俺の頭にはしっかり入っている。 さっそくリビングへ向かい、ソファの上に寝転がっている宵風に声をかけると、彼は返事をする代わりに、むくりと起き上がり帽子を被り直した。 マンションのエントランスを出てすぐ、俺は足を止めて、宵風を振り仰いだ。 「ねえ宵風、手繋ぎたいんだけど。だめ?」 この一言にはわりと勇気がいた。また以前のように拒まれたら、さすがに応えるし。 宵風は俺が差し出した手と、自分の手とを交互に見比べた。それから俺と同じように腕を伸ばし、指先が触れるか触れないかの距離で、動きを止めた。 「手袋したままでごめん」 俺に選択を任せるのは、宵風のずるさとやさしさだ。 だから全部飲み込むつもりで、俺からその手を取る。そうすると、宵風はちゃんと握り返してくれた。 件のケーキ屋は、さすがにテレビで宣伝されただけあって、女性客で賑わっていたけれど、もともと他人に興味のない宵風は、向けられる視線などどこ吹く風、繋いだ手を離そうとはしなかった。そうして俺を引き連れたまま、ひどく熱心にガラスケースを見つめた後、気羅を使うときのように人差し指をそっと伸ばした。 「このケースの端から端までぜんぶ」 「ちょっと待って。今日は二箱分だけにしようよ」 ぐいっと腕を引いて訴えかけると、頭の周りにハテナが飛んでる顔つきで、宵風が俺を見下ろした。表情は動かなかったけれど、かすかに不満げだ。宵風は無表情なくせに、意外とわかりやすい。 「一人一箱ずつ持つんじゃないと、帰りに手を繋げなくなっちゃうから」 宙を見つめてしばらく考えた後、宵風の顔から不満は消えて、そのあとコクンと頷いてくれた。 「うん、わかった。壬晴の言うとおりにする」 「仲のいいご兄弟なんですね。かわいらしい弟さんで、うらやましいわ」 ほんわかした幸せは、穏やかな声によって、あっさりかき消された。 俺が空ろな視線を向けた先、店員はケーキを取り出しながら、ガラスケース越しに宵風に微笑みかけていた。宵風の右手が帽子のツバを微かに撫でた。俺は見逃さなかった。 それ知ってる。照れたときのクセなんだ。 「店員さん、やっぱりもう一箱分ケーキ追加で。全部モンブランでいいや。――外で待ってるから、宵風がお金払ってきて」 雪見さんから渡された財布を押しつけ、振り返らずに、店の自動ドアをくぐった。さっさと一人で帰っちゃおうかとも思ったけれど、宵風相手にそこまでのことはできなくて、結局、外壁に寄りかかり、宵風を待つためその場にしゃがみこんだ。 なんだか心が窮屈で、膝を掻き抱いて背を丸める。数秒経ってから、ハッとした。 これは他人と距離を置きたいときの、宵風のクセ。いつの間に、うつってしまったのだろう。 そう、確かに俺たちは似てる。 黒髪なのが同じだ。目指す場所も同じだ。哀しい気持ちも、寂しい生き物なのも。 きっと近い存在であるのだろうとは思う。だけど兄弟だとか、傍にいて当たり前の関係じゃない。 一緒にいるのは、いたいと思うのは、俺たちの意志から生まれてるんだって信じたい。それだけなのに。 「壬晴」 か細いのに、決して聞き逃せない声が名前を呼んで、黒い影が圧し掛かってきた。 屈みこんだ宵風の帽子を乱暴に奪い取る。宵風は俺のしたいようにさせて、俺が頑なに逸らす視線をちゃんと合わせるまで、辛抱強く待っていた。 「さっき、なんで照れたの」 俺たちが兄弟に見られること、宵風はいやじゃないの。 彼から奪い取った帽子を握り締めながら、俯きつづける俺には、言葉を探す宵風の沈黙が怖くてしかたなかった。 「壬晴が褒められると、うれしいから」 たどたどしく告げられた言葉は、心の刺を溶かすような、穏やかな音をしていた。 照れてたのって、そこに? 驚いて顔を上げると、宵風は慌てて俺から帽子を取り返し、真っ赤な顔をそれで拭った。 「壬晴と僕が兄弟じゃないのは、壬晴と僕が知ってるよ」 「それで十分だね」 ケーキの箱は三箱。手を繋げなくなってしまったから、代わりに三つ目の箱は二人で持って、家へ帰った。 2008/05/12 |